Behind the Story

12/25/2021
SUPER STREET FIGHTER 2X
Grand Master Challenge
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  • こたか商店。
  • 今までやって来なかったことが出てくるんですよね、『獣道』に向けてやってると。これやってなかったなって
  • // Chapter 1
  • 「初代のスト2から始まってますよ。物心ついた時に団地の商店街に『マルサワ』って駄菓子屋があって。そこに立ってやるやつ、木のボックスの筐体。10円20円で遊べた。あのグラフィックにやられましたね。当時のアーケードって秀逸だったじゃないですか。家庭用じゃありえないグラフィックていうか、正直。その差は子供の自分でも分かったんで、まずそれですよね。あのグラフィック、スト2の」
    幼い頃に近所の駄菓子屋にあったゲームコーナー。それがこたか商店と「ストリートファイターII」とのファーストコンタクトだった。業務用の美麗なグラフィックに衝撃を受け、親にねだって買ってもらったスーパーファミコン版。それはこたか少年にとって違和感ばかりが気になるものだった。

    「何でこんな違うんだろうなって。まずその疑問点から入った。細かく言うとステージの障害物がなかったり前後移動のグラフィックが同じだとか納得いかなかった。相当覚えてます。違い過ぎて嫌だった」
    当時の移植としてはかなり高水準の移植だったが、年端の行かない子供にそんな事情は分からない。「お金を入れて遊ぶのは違うやつ」ということだけは理解した。

    ゲームセンターにある本物で遊びたい。小学生になると親に隠れてゲームセンターを物色したが、安く遊べる店舗は例外なく「荒い店」だった。
    「ゲーセンって不良のメッカだった。安いから荒いところでやりたいんだけど、いるから、輩...いや ほんっといるから」
    心なしか遠い目をするこたか商店。まだそういう時代だった。仕方がないので人の来ない1ゲーム100円の店舗でなけなしの小遣いを投入したりもした。

    その後、年齢を重ねたが満足の行くスト2の移植版は中々発売されない。ゲームセンターに堂々と通える歳になったが、格闘ゲームの対戦を楽しむのは「キング・オブ・ファイターズ(KOF)」シリーズになっていた。
    「KOFはプレステの家庭用が遜色ないくらいのグラフィックだったから。エックス(スーパーストリートファイターII X)はゲーセンで沈下してるしもう出来ないのかなあって。それでKOF」

    そうこうしてるうちにこたか商店の「脳内」を占拠するコンテンツが登場する。
    「脳内に『PRIDE』が入ってきちゃったんですよ、2000年位から。ほぼ『PRIDE』でしたよ脳内は」
    総合格闘技イベント「PRIDE」。それは世界最高の選手が集められ鎬を削る舞台だった。映像中継だけでは飽きたらなくなったこたか商店はライブ会場にも足を運ぶようになる。キャラの立った選手による勝負論のある試合。クオリティの高い会場のセットや音響照明。そしてPRIDE名物の煽りV。観客の一体感を後押しする仕掛けに心躍らせた。

    「オレ多分ねえ、完成度が高いものが好きなんですよ。今思えば業務用(アーケードゲーム)もそうですけど。『PRIDE』もやっぱ、どう考えても他の格闘技イベントに比べて完成度が高い。オレあれ以上のエンタメないと思うし。......妥協、してないのが好きなんですよ、おそらく」
    その後PRIDEは消滅。ゲームとは異なり一人の観客として受け身で楽しむコンテンツではあったが、この経験が後の格闘ゲームライフにおいても大きな影響を与えることになった。
  • // Chapter 2
  • 2004年に「ハイパーストリートファイターII -The Anniversary Edition-(ハイパー)」が発売されたことでこたか商店の格闘ゲーム人生は大きく動いた。

    「ちょうど『PRIDE』終わった時くらいにハイパーが出て。脳の容量も空いたんでしょうね。タイミングいいんですよ。今思えば(笑)」
    こたか商店にとって「ほぼ移植だった」ハイパーストリートファイターIIの家庭用はアーケードに先んじて発売。本人曰く「91年からの家で遊べなかった鬱憤」を晴らしつつ、横浜のゲーセンにも通うようになった。
    格闘ゲームのブームは去っていたが、リバイバルといった感じで遊ばれていたハイパーストリートファイターII。比較的多くのゲームセンターに設置されており、このタイトルをきっかけにしてスト2シリーズに復帰したというプレイヤーも少なくない。

    「やっぱ『横浜セブン』っすね、ホームっていうか。横浜駅乗り継ぎだったから仕事の帰りは覗いてましたね。行けば誰かいたんで」
    赤ブラ(ブランカ)、大船(ガイル)、オゴウ(サガット)、カメラ屋(ケン)、サシシ(リュウ)、そうぞう(フェイロン)等。『横浜セブン』で顔見知りになったプレイヤーは少なくない。「伏魔殿の入り口だった」と笑う。

    「横浜以外出なかった」と語るこたか商店。格闘ゲーム大会「闘劇'07(ハイパーストリートファイターII 2on2」をきっかけにゲームセンター「新宿モア」へ初めて足を踏み入れた。店内はこたか商店曰く「獣の煙と村八分勢」で満ち満ちていたという。

    「満杯でしたよ。ウメちゃんが好きそうな雰囲気の(笑) そん中でいるんすよDガイル二体が。66連勝してるのと88連勝してるのがいるんですよ。明確に覚えてます」
    大会前で殺気立っていた店内。そこで黙々と勝ちを積んでいたのが後に再会する「ムテキガイル」と「志木」の二人だった。

    「当時知らなかったんだけど、志木とムテキガイルの二人だったんですよ。ハイパーって連勝数出るじゃないですか、もう意味がわからなくて(笑)」
    その後は時折、都内の対戦環境にも出向くようになったこたか商店。そして2011年頃には「西日暮里VERSUS(バーサス)」における熱湯のような環境で対戦漬けとなっていく。

    「一人のスト2プレイヤーとして、こんなプレイヤー人生、こんな良い環境で育って。もう何だろうな、結構宝だと思いますね。最初横浜で。まあスト2の基盤じゃないですか。『大船』しかり『オゴウ』さんしかり」

    ガイルをメインキャラとして使用する「大船」。目立って勝っていた訳でもなければ大きな実績もない。しかしどこか人を惹きつけるプレイをする。何か美意識のようなものを感じさせるプレイヤーだった。リュウを使用する盟友サシシ共々、特に大きな影響を受けたという。
    「サシシとオレはアイツいなかったらやってないですよね。もしくはもう全然違う方向に行って多分こんな風にはなってないです。当時は彼が何言ってるのか全然分かんなくって。でも徐々に徐々に時間が経つにつれて分かってきた」

    しばらくすると横浜からゲーセンがなくなって、その「大船」とも会う機会がなくなってしまった。
    「横浜の『横浜セブン』や『ビジョン』が潰れたのが2011年。そしたら丁度『バーサス』が一強の対戦環境になってた。自分は出不精なんで近所に環境が無いならやんないんだけど、やっぱスト2やりたい気持ちが勝ったんでしょうね、『バーサス』行くようになってました」
  • // Chapter 3
  • 「スト2の基礎から次のステージですよね『バーサス』での対戦は。『超無敵不死身』と出会って」
    「超無敵不死身」とは「超ヌキンクス(春麗)」「ムテキガイル(ガイル)」「志木(バイソン)」の三人の強豪プレイヤーをまとめた総称だ。
    「超ヌキンクス(春麗)」は通称「ヌキ」。ゲームセンター時代のウメハラと双璧をなした格ゲープレイヤーであり格ゲーファンにはおなじみの存在だ。「ムテキ(ガイル)」「志木(バイソン)」は前述した「新宿モア」で破格の連勝を積み上げていた二人のガイル使い。25年以上スト2シリーズを遊び続けてきた猛者である。

    この三人がとにかく強い。横浜でスト2のイロハを覚えたレベルのこたか商店が太刀打ち出来る相手ではなかった。
    「もうその日に一回勝てればいいかなって感じですよね。それがけっこう何ヶ月も続いて。そっから綺麗事だけじゃ勝てないんだなって。やっぱチュートリアルだけじゃ、やっぱ無理なんじゃないかな、っていう。だんだんこう、自分の中で......あれ?って」
    長い対戦経験に裏打ちされた「超無敵不死身」のプレイスタイルは、横浜で遊んでいた頃には味わったことのない実戦的なものだった。そういう戦いに対応する為に必死で食らいつこうと仕事の合間を縫って西日暮里へ通う毎日。寝不足は行き帰りの電車で仮眠を取ることでカバーする生活が続いた。

    「2010年から2015年の『バーサス』って全盛期超えてるんじゃないかってくらい密度高かったから。ウメハラさんがやってた時代と遜色ないくらい凄かったんじやないかって。全盛期の『PRIDE』じゃないですけど。東西戦や段位戦の盛り上がりも凄かった。あれは当たり前じゃなかったんだなあってつくづく思います」
    90年代にあったスト2ブームの熱狂は世間を巻き込むものだった。直接の比較は出来ないがブームが終わっても遊び続けた猛者達のみが夜な夜な集まって対戦する熱量は、別の意味で高い密度を持つものだったことは想像に難くない。

    「横浜セブン」で学んだ基本や美意識が「西日暮里バーサス」で揉まれることで一本の芯が通った。
    「出会いが逆だったらこうなってないかもしれない。オレはこのスト2人生こんな幸せなこと無いんじゃないかって思うくらいなんですよね。今の時代じゃ無理じゃないですか、こんなの。ゲーセンの時代にギリギリ滑り込みで入って、ギリギリ巡り合って。......こんなストーリーじゃないですけどお金で買えないっていうか。こんなのないって思うんですよ。それはねえ今つくづく思いますね」

    ガイルを使う先輩格の「ムテキガイル」とはまた別のスタイルのガイル。そのようにこたか商店は認知されるようになった。やがて「バーサス」における熱湯も冷めていき、こたか商店のスト2ライフも落ち着いたものになっていく。
  • // Chapter 4
  • 「バーサス」での熱狂は過ぎ去った。それ以上の渦はないだろうと感じていたこたか商店に転機が訪れる。本人にとってはそれが「激動の2017年」だった。

    2017年4月15日に行われた「YOUDEAL STREET FIGHTER ALLBATTLE」。招待選手8名によるダブルイリミネーションのトーナメントにこたか商店は抜擢された。
    「ムテキガイルが出るはずだったんですけど『オレもうやってないから出てくんないか』つって自分に白羽の矢が立ったんですよね。そっから始まってると思います。もう4年......そっから俺の中では始まってます。俺の中ではあそこから」
    メンバーはこたか商店、兄ケン(ケン)、オゴウ(サガット)、オトチュン(春麗)、くすモンド(E本田)、コモダ(ブランカ)、さそり(リュウ)、ユウベガ(ベガ)の8名。こたか商店とさそりを除いて全員キャリア20年超えの古豪だった。

    「ムテキさんの顔もあったしニコニコで有料配信だったから下手なのを見せられないとかもあって。このゲーム無視出来ないじゃないですか、兄ケンさんオトチュンさん。あの二人が来るって言うことはそのくらい重みあるんだろうなって。出ればどっちか優勝するみたいな。強いのは分かってるんですけど、これでまたあの兄弟が優勝すると、なんつうんだろうな、やっぱスト2止まっちゃうっていうか。やっぱ、また?っていう(笑)。どうせオトチュンさんなんでしょ、兄ケンさんなんでしょみたいな。それでまた兄弟勝ったらつまんないよねってのがオレはあったんですよ。当たり前ですけど全員認めた上での話ですよ」
    並々ならぬ決意で臨んだ大会結果は「鬼門だった」オトチュン(春麗)を初戦で下してトーナメント優勝。この時すでに本人には分からなかった運命の輪が回り始めていた。

    数カ月後に再びこたか商店は招待制の大会「YOUDEAL Xリーグ」に出場。
    メンバーは兄ケン(ケン)、オゴウ(サガット、ガイル)、オトチュン(春麗)、グンゼ(ザンギエフ)、こたか商店(ガイル)、サシシ(リュウ)、フジモン(DJ)、ユウベガ(ベガ)の8名。
    「招待制トーナメントの3ヶ月後くらいですね。今度はリーグ戦で。あのメンツはもうないですよ、サシシも出て」
    大会は歴代のリュウ使いの中でも最強と呼ばれるサシシが優勝。こたか商店にとって「横浜セブン」「西日暮里VERSUS」で共に腕を磨いた盟友でもある。相当な意気込みで臨んだ自身の成績は「不甲斐ない結果(6位)」に終わったが、間を置かず意外な出会いが待っていた。

    2017年9月に行われた「クラハシvsオゴウ」。「獣道」はここから始まったといっていいだろう。こたか商店の好きな「PRIDE」の原点となった「ヒクソンvs高田」といった位置付けだろうか。このイベント直前にこたか商店はウメハラと初めて相対した。
    「ガイル戦のスパーをやってくれって。それがビーストと初対面で」
    ウメハラにとってはプロゲーマーとして世界を転戦している合間を縫っての対戦だった。ギリギリのスケジュールで仕上げる必要があったことを考えると、トップランクのガイルに成長していたこたか商店はベストの人選だったといえるだろう。そしてスパーリングパートナーとしての役目を果たしたこたか商店にオファーが舞い込んだ。
    「10月くらいに話が来たんですよ『獣道』の。ウメハラさんからなんかこういうのがあるんだけどって」
    「オゴウvsクラハシ」の成功で手応えを掴んだウメハラが「獣道1」を企画。ウメハラにとっては原点とも言えるタイトル「スーパーストリートファイターIIX」の出場選手として指名されたのがこたか商店と兄ケンだった。

    「もちろん春夏にやった大会もやりましたよ。でも更に上ですよね。近付くにつれて『これ現実だし綺麗事言ってらんないし。これ負けたらホントに。相手も兄ケンさんなんで今までのどうなっちゃうの!?』っていう。また戻っちゃうわけじゃないですか」

    対戦格闘ゲームの草分けであるスト2シリーズ。いわゆるレジェンドクラスのプレイヤーは40代が中心でありその牙城は高かった。それを追い付け追い越せと研鑽を積んできたのが、こたか商店をはじめとする新世代のプレイヤー達だ。もしもここで自分が兄ケンに負けることになればその積み重ねが「戻っちゃう」とこたか商店は思い詰めていた。
    「勝ち負けしかないじゃないですか。悔しいだけで済んだら全然いいっすよ、はっきり言って。もう自分だけの話じゃないと思ったんで正直。何が何でもこれは絶っ対っ勝たないといけないと思ってました。以降の『獣道』も全部負けらんなかったけど、多分一番負けらんなかったかもしんないですね。キャラ差とかそんなんもう関係ないっすよ、はっきり言って」
    その後参戦した「獣道2・3」も「獣道1」があってこそ。ここで勝たなければ何も起こらないどころか時計の針まで戻る。こたか商店にとってはまさに「剣ヶ峰」だった。

    「格闘技でも対極なのが面白いと思ってて。関西と関東。ファイトスタイルも攻めと対応。異種格闘技みたいなのってどこまでいっても切り離せない。やっぱマッチメイクもいいと思った。後はやって勝つのが仕事っていうか。いやー本当にねえ。今思えば、絶対に死んでも負けらんないなあって思ってやってましたね。スト2自体が世界の人に見てもらえること自体がありえないっていうか。
    やっぱ未来かかってたと思うんですよ。オレが言うのも何かあれですけど(笑)」
  • // Chapter 5
  • こたか商店のスト2ライフには長い格闘技観戦の影響が少なくない。スト2と格闘技は切っても切り離せない関係なのだ。

    「スト2より格闘技の方が長いんで。2000年から見てるから21年。格闘技とスト2は常にリンクしながら観戦してるし(スト2を)やってるんですよ」
    歴代ガイルの中でも高い完成度を誇るこたか商店ガイル。そこには「全部出来る」という現代総合格闘技からの影響があるという。
    「やっぱこれは一緒なんだなあって。一緒ってのはどの選手も得意不得意があるんです。打撃と寝技、これ全部出来る人ってそういないんですよ、オールラウンドで。でも、昨今の現代総合格闘技って上のレベルは全部出来て当たり前。かつ何か得意ないと無理なんです。でその一昔前の総合格闘技ってそれじゃなくてもある程度戦えたっていうか。今じゃ流石に通用しないんですよね、その通用しないってのが何だろうな。一昔前の格ゲーと、まあ全盛期だったかもしんないすけどその古代(一昔前)の格闘技とすごいリンクしてて。全部出来なくても何か特化してればある程度は戦えるよねっていう。でも流石に現代の総合格闘技ってレベルが上ってきてるしやっぱ全部出来ないと『流石にちょっと無理じゃね?』っていう。それは何か凄いリンクしてる。これ間違いないと思うんすよね」

    2D格闘ゲーム史上最高レベルの戦いが繰り広げられている「ストリートファイターV」のプロシーンはまさにそれだ。トッププレイヤーは全てのレベルが高くどんぐりの背比べの様相を呈している。その上でそれぞれが得意を持っているがそれは僅かな差と言っていい。だがその僅差が重要なのだ。90年代のブームの頃に存在した個性のはっきりしたスタイルのプレイヤーは存在しようもないのが今の現実である。
    「何か突起している人って色気はあるんですけど、ついていけないのかなあっていうのは。やっぱ現実あるなって正直ありますね」

    補足しておくと90年代における初期のブームは総合格闘技ですらなく「異種格闘技戦」だった。隣町に強豪がいると聞いて対戦に行っても、やってみるまではどんな戦法かも分からない。「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」のように「何をされるのか分からない」手探りの状態で対戦した。最適解が集約されるまでに何年もの時を要する牧歌の時代だったが、エキサイティングで刺激的な時代でもあった。ある者は己の拳足を磨き、ある者は投げを打ち込み続け、ある者は寝技による極めにこだわった。それぞれが信じた技術やスタイルに専心する。そういうプレイヤーは珍しくもなくむしろ当たり前の存在だった。そういう遊び方が許されていたともいえるし、それが礎になって格闘ゲームが進化してきた面もある。当時のプレイヤー側にも「自分達が新しい遊びを作っているんだ」といった自負のようなものすらあった。そういった点は付記しておきたい。

    自身のスト2ライフと総合格闘技を重ね合わせるような情景は他にもあったと語るこたか商店
    「何でも出来る選手っていうと総合格闘家の堀口恭司選手。あの人は山本KIDのジムいたんですけど一人でアメリカ行ったんですよね。誰も知り合いもいないし言葉も通じない。普通ならその環境だけで帰っちゃいます。やっぱ変えないといけないって思ったんでしょうね。それはねえ、凄い分かるなあって思って。横浜でスト2の基盤が出来て。でも流石にその、都内のバーサスに行きはじめて全然歯が立たないわけですよ。何が足りないのかと思うわけですわ。今でも一杯あるんですけど、変えないといけないとこが何箇所も出るじゃないですか。......ああいう人(堀口恭司選手)と一緒にしちゃいけないと思うんすけどね、やっぱ凄いリンクしてるなあってのはありますね」
  • // Chapter 6
  • 「結構悩みましたね、もう決まってたんで『獣道4』が。勝負なんで負ける可能性もあるんで。ずっと『獣道』が頭によぎってた」
    10月23日にゲームセンター「ゲームニュートン大山店」にて行われた「SPECIAL FT10 ROUND.4:SUPER STREET FIGHTER II X」。
    10戦先取という「獣道」と同じ形式のルールで戦うこのイベントへの参加をこたか商店は迷っていた。もしも負ければ出場が決まっている「獣道4」に水を差すことになりかねない。コロナ禍におけるゲームセンターの苦境もあり出場したい気持ちはあったが、出場を即答することは出来なかったという。

    「ウメハラさんにLINEで伝えたんですよ。『こういうイベントがあってもし負けた時、迷惑かかっちゃうかもしれない』って。そしたら返事は『おけ』で終わりました(笑) その二文字の間には凄い詰まってると思ってましたよ。『おけ』しかないんですけど」
    「出るからには絶対勝てよ」。そのような意味でこたか商店はその二文字を受け取った。あれこれ言われるよりも余程効いたと語る。当日の「絶対に負けられない」という気持ちが乗り移ったような試合にはそれだけの思いが込められていた。
  • 「獣道4」における対戦相手であるユウベガはスト2のキャリアが30年に達しようという古豪中の古豪。だが大会経験も含めてキャリアで勝てるなら苦労はしないとこたか商店は語る。
    「30年やってきたと思うんですけどこの『獣道』だけはそういうのまかり通らないんで。そこまかり通らないっていう内容を見せるつもりではありますけどね。そもそも『獣道』はスト2の大会じゃない。今までやってきたスト2大会の延長で考えているならそれは盛大な勘違いです」

    「ちょっとでも気持ちに隙間あったら絶対そこから行かれちゃう。自分の気持だけが頼りだから準備も逃げずにやらなきゃいけない」
    シンプルなゲーム性もあり、何となく自分の得意なこと好きなことだけで勝ててしまう面がスト2にはあるという。
    「今までやって来なかったことが出てくるんですよね、「獣道」に向けてやってると。これやってなかったなって。やっぱ逃げてたんですよ。ガイルは立ち回りが9割、楽しいからってそっちばかりやってるとか」
    こたか商店にとって「獣道」という場はそういう甘さに向き合わされる場でもある。自分の好きな総合格闘技と同じように「何でも出来る、何でもやる」というマインドは欠かせない。これまで何となく避けてきた部分にもきっちりと向き合って準備しないと「いざという場面で気持ちで負ける」からだ。

    最後にこたか商店がはじめて「獣道」に出場した時の思いを紹介して稿を終えようと思う。「こたか語録」。格闘ゲームファンにはお馴染みの言い回しだ。

    「今の時代じゃ見られない、逸脱した昔のゲーセン時代を何かバック・トゥ・ザ・フューチャーしたいんだなあっていうのは凄い分かったんですよ、伏魔殿時代の、あのクソみたいなゲーセンの(笑) モヤモヤしたのを描写したかったていうのを、あのカタルシス時代を出したいってのはオレは分かったんですよね。あのーもう、結構2018年ってもうネットじゃないですか。単純にゲーセンの時代はもうこうなったから。でもやっぱウメハラさんって根っこがゲーセンじゃないですか。そういうのを合法的に出したいっていうのは凄い感じましたね」

    何を言っているのかは分からないが、言いたいことは分かる。勝ち続けている限り「こたか語録」は止まらない。勝って語録を炸裂させるのか。最多出場こたか商店、4度目の戦場へ―。
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